農薬問題・環境問題を考える際の、バランス感覚を養おう
 農薬問題、環境問題に取り組むために必要な考え方を紹介します。「臭い物にふた」をするだけでは、なにも解決しないのです。そのことを念頭においておかなければなりません。
「リスク(危険性)とベネフィット(便益)」・・・あらゆる問題を考える上で重要です。農薬を例に考えてみましょう。
 まず、わかりやすい例として車と農薬を比較してみましょう。赤が悪い面、青が良い面です。
   

農 薬

急性毒性

交通事故、自殺

散布中の事故、自殺

慢性毒性

排ガスによる喘息、発ガン性

発ガン性、催奇形性

公害

騒音、悪臭、大気汚染、地球温暖化

生態系への影響、残留

その他

暴走族、渋滞ストレス、犯罪に利用

農村文化の衰退、犯罪に利用

効率化

大量輸送、高速輸送、コストダウン

大量生産、安定生産、コストダウン

健康

安全、移動労力の低下

食生活の多様化、農作業労力の低下

余暇

観光、レジャー、車趣味

農家の余暇拡大、食生活の多様化

その他

経済拡大、防災、自動車文化

経済拡大、農地保護による環境保全

 世の中の全ての物には、必ず良い面と悪い面があります。そして「良い面>悪い面」となる物だけが使われ、「悪い面>良い面」となる物は消えていきます。この良い面を「ベネフィット(便益)」と呼び、悪い面を「リスク(危険性)」と呼び、この考え方を「リスクベネフィット論」と呼ぶこともあります。そして、ベネフィットは大きければ大きいほど良く、リスクは小さければ小さいほど良いのです。注意したいのはベネフィットが0になる(誰にもなんにも得にならない)ことはあっても、リスクが0になる(誰にも絶対に害を及ぼさない)ことは決してないことです。また、「リスク」が非常に低く一般的な使用方法では問題が起こらないと考えられる場合を「安全」と表現します。そして「ベネフィット」の大きさと「リスク」の小ささの差が大きい場合を「有益」「便利」と表現し、その差が広がることが「技術進歩」となります。
 あらゆる物事は全てリスクベネフィット論の上にありますが、その判断は個人個人により異なります。怖くて飛行機に乗れない人がいたり、いくら健康に悪いと言ってもタバコを吸う人がいたりするのは、リスク判断に個人差があるからです。しかし、大枠で環境問題を語る場合、科学的根拠に基づいてどこかに線引きしなりません。農薬の場合、それが残留基準などの安全性確保のための法律なのです。個人差のあるものを、どこかで線引きしているので、違和感を感じる人が出るのは仕方ありません。だが、あくまで大枠で話を進めなければなりません。「自分はこう思う」だけでは話になりません。「おれは飛行機が怖くて嫌いだ。だから飛行機を無くして、そのかわり新幹線を発展させてくれ。」と言ってる人がいれば笑い話ですよね。「農薬を使うのはやめてくれ。だから無農薬栽培にしてくれ、天敵を利用してくれ。」・・・・聞いたことありませんか、こういう台詞・・・・これでは科学的な議論は出来ないんです。

 

「リスクマネジメント」・・・古くて新しい考え方です。このバランス感覚を、ぜひとも身につけたいものです。
死因
危険度
死因
危険度

たばこ(1箱/日)
原付自転車
肥満
造影剤注入
肺内視鏡
胃カメラ
市街歩行
エイズ
スキー
残留農薬・食品添加物

1/200
1/250
1/600
1/2000
1/5000
1/10000
1/20000
1/30000
1/100000
1/500000以上

アルコール
ハングライダー
心臓カテーテル
自動車
自転車
家事
肺レントゲン
医薬品
原子力発電所放射能
 

1/250
1/550
1/1000
1/4000
1/8000
1/15000
1/20000
1/80000
1/200000
   

  (Dr.ファースト 1990年:「持続可能な農業と日本の将来(化学工業日報)」より転載)
 この表は何人に1人がこの原因で死ぬかを示しています。この表から言えることは、日常生活の安全性を考える上で、残留農薬は他の不健康要因に比べて取るに足らないということです。車や家事を避けることは出来ないかもしれませんが、残留農薬のことを気にするよりも、たばこをやめる、酒をやめる、肥満を解消する等の方が1000倍以上健康に寄与します。こういったリスクをトータル評価する考え方は重要です。
 そして、食物を考えた場合、残留農薬より、食物にもともと含まれている有害天然成分の量の方がケタ違いに多く、健康への影響は大きいのです。人間への影響が研究されている、わざかな量の残留農薬を気にすることはほとんど意味がないのです。こういった確率で安全性を表すことは、欧米では一般的ですが、日本ではまだ馴染みが薄いものです。
 農薬の安全性を求めることは当然ですが、こういった視点を常に持ち合わせるべきです。

 

「環境倫理」・・・環境問題は科学だけの問題ではありません。
 車を運転していて、無意味な追い越し、からぶかし、アイドリングは地球温暖化、大気汚染に一役買っています。使い捨て文化はゴミを増やし、不法投棄、ダイオキシンなどの問題を増大させています。大して寒くもないのに暖房、暑くもないのに冷房。。。数え上げればきりがありません。こういった、無駄を減らすこと、面倒くさがらずに始末することを積み重ねることが今もとめられています。地球温暖化、オゾン層、環境ホルモン・・・それはそれで大事なことですか、そんな手の届かない大きな問題にばかり関心が向いていて、自分でも出来る小さな事をやってない人があまりにも多すぎます。そういった環境倫理の確立で、おそらく10〜30%ぐらいの日本の環境問題は解決するのではないのでしょうか?
 農薬ではどうでしょうか?日本の食品の20〜30%は食べ残されているようです。それを無くすだけでも、同じ割合で農薬の使用量が減ることにつながるのです。大して問題にもならない衛生害虫に殺虫剤をまく、意味なく抗菌グッズを使う・・・無駄です。手の届くところからコツコツと始めることが肝心ではないでしょうか?

 

「環境問題は人口問題」・・・環境問題の本質はなんでしょうか?
 人類最初の環境問題は、おそらくゴミとし尿の処理でしょう。次に、農地、牧草地、薪の確保のための森林破壊でしょう。人が生きるということは、それだけで多くの環境負荷を作り出すのです。この環境負荷は環境問題と食料問題に形を変えて、人口の調整要因となります。つまり、「人が増える → 環境・食料問題が起こる → 技術革新で解決する → さらに人口が増える」を繰り返すことが宿命になっているのです。
 古くはアメリカやオーストラリアのような新大陸の発見と移住で、そのサイクルをかわすことが出来ましたが、20世紀になって、新しい土地は地球上になくなり、無限に大きいと思われていた地球の包容力にも限界が見えてきました。そこで、いっきに新しい環境問題が噴出することになったわけです。
 「環境問題の解決」は次の環境問題を産み出すことにもなるのです。世界人口が増え続ける限り、環境問題が世の中からなくなることはあり得ません。それは生物の宿命なのです。どんな生物でも一対の雄雌からどれだけたくさんの子供が産まれようと、次世代の雄雌は一対しか残らないように出来ています。しかし、人間はその摂理に逆らっている。環境問題を考える上で、この事実は常に頭に置いておきたいことです。

 

「環境問題と経済問題は相反する」
 炭酸ガスの排出量を巡って、京都会議が行われ、難産の末、排出削減目標が決められたのは97年のことです。炭酸ガスの排出量を減らすのは、石油の産出量を減らせば、それで済むことです。なぜ、それができないのでしょうか?産出量が減らせば、石油価格が上昇し、オイルショックで不景気に。後進国は石油を買うことすら出来ず、日常生活に支障をきたすことになるでしょう。これは簡単に理解できることですね。経済は人間活動の活発さを示す指標となります。同時に活発な人間活動は、環境悪化の増大を招きます。
 環境問題にもコスト意識が求められます。目の前にある問題を、金をかけて、あるいは取り壊すことで、取り去れば良いわけではありません。農薬が怖いから、無農薬栽培を拡大したとして、農産物価格の上昇、農業人口の不足、農村経済の低迷を招くことになります。まねいてもかまいませんが、限度があり、どこでバランスさせるかを考えなければなりません。そういったことを抜きに、ただただ目先の問題だけを考えても、単なる理想論となってしまい、説得力を欠くことになります。総合的な視野が求められます。
 
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